お仕置きとしてのスパンキングは叩きまくればいいってわけじゃない
プリンとした白いお尻
お尻を叩くと、モミジが一つ
もひとつ叩くとモミジが二つ
叩いてみるたび、モミジが増える
懐かしい童謡に乗せて、おしりを叩く。
悪い子にするお仕置きといったらお尻ペンペンだ。
お尻ペンペンはこどもがされるものだから、童謡がとても似合う。
だからか、M女も子どもに戻って、大きな声で鳴き、「ごめんなさい」「もうしません」と許しを請うのだ。
その姿はとてもかわいい。
もっと叩いて、もっと泣かせてやりたいと思うほどに。
だが、お仕置きは一定の回数でないと意味がない。
やりすぎると、嫌な思い出の方が勝ってしまうからだ。
本当に反省させるにはお尻ペンペンと言葉での説明をして、それで納得したかどうかを確認しなければならない。
スパンキングはそのようなお仕置きとは一線を画すとはいえ、むやみやたらと叩けばいいってものでもない。
叩くことだけが目的化したら、お仕置きとは言えなくなってしまう。
大人になると、自制心も効かずに好きなだけお尻ペンペンしたい、スパンキングしたいと思う人が多すぎる。
だが、私は子どもの頃の思い出を大切に、子供の頃のようなおしりぺんぺんをしたい。
それを理解してくれるM女と細々と昔ながらのお仕置きで楽しんでいるのだ。
しかし、自分と違うやり方を否定するつもりはない。
それぞれが好きなスタイルで楽しめばいい。
お互いがそれを合意の上でなら、何も問題はない。
自分はこのようなやり方が好みなのだ。
同じ嗜好のM女を見つけてやっているだけだ。
まだ自分の好みのスタイルを見つけられない時はいろいろ試してみるといい。
そのうち、これだ!というのが見つかるはずだ。
また自分のスタイルが確立した後も、新しいスタイルを取り入れていくのはいいことだ。
マンネリ打破にもなるし、常にアップデートを重ねていけば、古い情報のまま危険なことをしていたという可能性が無くなる。
昔ながらのやり方と最新のやり方と折衷して、より良い方法を模索していくといいだろう。